島野育夫逝く

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ドーピングの話、林の手術成功の話などを吹っ飛ばす突然の訃報。
12月15日21時5分、島野育夫さんが胃ガンのため亡くなった。63歳だった(スポニチ)


私にとって、島野育夫の最も古い記憶は、背番号8をつけてタイガースの現役選手だった頃。外野の守備固め、同点機や逆転機にとっておきの代走、そういう役回りが多かった。記録では76から80年まで、タイガースで現役だったということだから、36歳で現役引退するまでの晩年を見ていたわけだね。南海ホークスからタイガースにやってきたのは、江夏・望月?江本・長谷川・池内・島野の大型トレードだった。
現役最後の80年はコーチ兼任。引退後も休むことなくタイガースでコーチに就任し、コーチ2年目の82年、あの暴行事件。明かな誤審や対応の悪さが原因とされるが、どんな理由があろうとも全国に伝えられた映像は「集団暴行」にしか見えなかったし、あってはならない事件だった。私が「殴る蹴る」という慣用句を覚えたはこの時だ。遠い昔のことながらイヤな印象だけが残っている。
正直なところ、その後の印象は特にない。D星野仙一監督の右腕であるということも、知ってはいたかも知れないが、あまり興味を持っていなかった。
02年、野村監督の後任として星野仙一が衝撃的に就任。星野退任後もドラゴンズで重要なポストを勤めていた島野コーチを星野氏がぶんどった時、初めてどれだけの実力者で、星野氏との関係が密であるかを知った。
そして03年の優勝。そこで初めて、星野仙一がV9監督川上哲治の教えを請う間、島野育夫もV9参謀牧野茂の教えを請うために足繁く牧野宅を訪ねていたことを知る。
三塁ベースコーチを後進の岡田彰布に渡し、監督修行をさせていることを知る。
亡くなった星野夫人から、日本一を託されたという話を知る。
胃ガンに冒されていたこと。現場を離れてもケガで苦しむ金本や今岡や、多くの選手たちを病床からの電話で励まし続けていること。
思えば、代走だった島野育夫と暴行事件を起こした島野育夫以外は、後で知ることばかりだった。
核融合のような星野監督の強力なエネルギーは、島野コーチの配慮と技能によってもっとも効率的に「平和的利用」される。その組み合わせの妙。
関西球界を明るくした仰木彬と同じ日に亡くなったのはただの偶然だろうが、スケジュールがようやく空いて、星野仙一に会って、手を握られてから亡くなったというのは偶然のはずがない。自分に残されたすべてのエネルギーで、自分にできるすべてを「最後の接触」で伝えて、安心して休んだのだと思う。凄まじい生き様だと思う。
お疲れさま。代走島野、背番号8、忘れない。

コメント

  1. はみ より:

    代走島野、背番号8。
    印象強い選手でしたね。時には兼任コーチだってのに、牽制でアウトになってみたりして。
    無期限出場停止処分中のオフ、ダイヤモンドグラブを獲得した北村が、「(この受賞は)島野サンのおかげです」と発言したのを聞いて、なんだか凄いコーチなのかもしれない…と思いました。あえて、あの時期にそんな言葉が出るなんて。
    今朝、名古屋駅で買った新聞の一面に、急遽差し替えという感じの記事が載っていました。元中日コーチ、という肩書きではありましたが。東京の新聞も一面でしたね。
    愛されていた人なんだなあ…
    なんか気持ちの真ん中に、ボール一個分、穴があいたような気分です。お疲れさまでした。どうもありがとうございました、という気分です。

  2. banzai より:

    おいらも熱血漢ゆえのあの事件の印象が強すぎてある時期まで悪いイメージが先行していた。選手・島野は晩年の頃がかすかに記憶にある程度。やはり守備、走塁のイメージがあるだけでどんな打撃フォームだったかまったく覚えていない。
    当時発売されたタカラのプロ野球カードゲームにハマってたおいらは阪神の中で数少ない守備ランクA、盗塁なら8割成功の外野手を重宝させてもらったもんだ。
    仙ちゃんが「俺が寿命を縮めたのかもしれん」とコメントしたが、確かに阪神という特殊な人気球団のヘッドという激務が病気の進行を早めただろう。それが良かったか悪かったかを判断するのは本人しかない。
    今年の秋季キャンプにビックリするほど痩せ細った顔にも関わらず激励に訪れた島野さん、悔いはなかったはず。
    ダメ虎を変えてくれた功労者、忘れない。

  3. 西田辺 より:

    ビックリしました。
    星野氏が北京行きを決め、見舞いに行くまで
    待っていたんでしょうね。
    偶然でも奇跡でもなく彼にとっては「必然」だったのかも。
    今、彼の何を思い出すかと言えば「声」ですね。
    決して美声でもない、どちらかと言えば栃木訛りが抜けない
    朴訥としたオッサンの声なのですけどね。
    阪神日本一の85年、1年間だけサンテレビの解説を
    されてて、ボソボソとした声の中の鋭い野球観に感心した記憶があります。
    そして、星野監督時代の春季キャンプ。
    メガホンや、場内マイク片手に
    「ホラ、元気出せ?!声出せ?!勝つぞ?!優勝するぞ?!」
    と念仏の様に、何度も何度も選手達に叱咤激励
    してたあの声。
    何故か島野氏が阪神について語ってくれたら
    安心できた。
    もう一度、あの声を聞きたかった。
    また空の上から虎戦士達に叱咤激励お願いします。
    お疲れ様でした。
    ご冥福を、お祈り致します。

  4. tfoh より:

    島野さんがいなかったら、ここ近年の2度の
    リーグ優勝などタイガースの躍進はありませんでした。島野さんはタイガースの大功労者です。ご冥福をお祈りします。

  5. 広虎 より:

    牧野さんに参謀役としての教えを請っていたなんて,チームのために自分の役割を受け入れてそれに打ち込める人だったんだなぁ。
    監督の胴上げの時,奥さんの写真を抱えて立っていた姿が,この人の生き様を表しているようで忘れられない。
    改めてすばらしい友情のドラマに感動した。

  6. KIKI より:

    島野さんが2005年に再び現場に戻ってきたのは久万さんに頼まれたからでしたね
    その時も体調を理由に断り続けていたにも拘わらず「仰木さんが監督するなら自分も」
    と言って岡田監督のサポート役を引き受けてくれました。
    今年、今岡が2軍落ちした時も「島野さんの励ましが嬉しかった」と語っていましたね・・・
    来年は絶対に優勝する事! それが島野さんに対する恩返しだと思います。

  7. 源五郎丸 より:

    星野監督が阪神にやって来たとき、島野さんが
    「奥さんに星野さんを日本一にすると約束したから阪神に行く」というコメントが頭から離れません。
    心からご冥福をお祈りいたします。

  8. torao より:

    to はみさま
    全国虎ファンは多いですが、島野ファンを公言されている方はそう多くないでしょう。そのうちの一人ですからね、はみさんは。
    厳しいコーチなのは間違いないと思うのですが、選手がみな慕っているのがわかるんですよね。抜きん出たコーチだったのでしょう。
    to banzaiさま
    「タカラのプロ野球カードゲーム」これ懐かしいなぁ。私は持ってなかったのですが、ホエールズファンの友人が持っていて、私がジャイアンツ役(とりあえず対戦者用としてそれを用意していた)でよくやりましたよ。
    to 西田辺さま
    ありましたね、マイクパフォーマンス。あそこから確実にチームが変わっていきました。
    確かにあのダミ声の力は大きかったですね。
    to tfohさま
    「大功労者」なんていう言葉では、まだ足りないくらいの功労者でした。
    to KIKIさま
    >来年は絶対に優勝する事! それが島野さんに対する恩返しだと思います。
    その思いを抱いている選手は少なくないと思います。
    to 源五郎丸さま
    星野さんも、日本一を飛ばして世界一を獲らないわけにはいきませんね。

  9. すかんぴん より:

    なんか最近阪神に暗いニュースばっかですね・・・
    また本格的にチームが呪われ始めてきたんでしょうか。。。
    ともかく偉大なる島野氏にはご冥福をお祈りします。

  10. 一虎ファン より:

    最近のウチの戦いぶりを島野さんはどのような思いで見ていたのでしょうか。
    島野さんの魂があの世で安らかなることを願ってやみません。

  11. run より:

    すごくショックです・・・63歳、早すぎますよね・・・
    星野さんと岡田監督、タイプの違うちょっと難しそうな二人に慕われ、頼りにされていた
    ということを考えてもすごい人だったんだなと思います。
    来季は、虎は日本一、ジャパンは金メダルをとって島野さんを安心させてあげてほしいです。

  12. torao より:

    to すかんぴんさま
    まあ呪われるほど悪いことはしていないと思いますよ。
    to 一虎ファンさま
    言えることは、決して「他人事」として見るような人ではなかったということです。
    to runさま
    うまくいきませんね。まだまだ活躍できたでしょうに。

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