震災から14年

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 この1月17日で、阪神・淡路大震災から14年経つ。


真弓監督が「第5回神戸フリーライブ ONE LOVE」にノーギャラ出演するという話題がデイリーに(リンク)。当時から神戸に住み、災害の影響を大きく受けながら、その年に現役を引退した真弓監督。震災への思いは特別なのだろう。
 あの朝のニュースは衝撃だった。時が経つに連れてその被害の甚大さがわかり、戦慄した。尼崎市の家人の実家に連絡が取れず、張り裂けるような気持ちだったこと、しばらくして片づけを手伝いに空路で行った際、激甚地帯でなくとも倒壊した家屋が点在し、どの家でもたくさんの家財が破損していたことは忘れられない。
 おそらく全国的には、それまで「阪神」という言葉から思い浮かべるのは、タイガースや阪神電鉄だったろうが、震災以来、地域名として強く認識されるようになったように思う。
 当時、「がんばろうKOBE」をスローガンに復興のシンボルとなったオリックス・ブルーウェーブが、少しずつ神戸から離れて行ってしまうのがさびしい。もうひとつあった関西の球団、近鉄バファローズはもうない。震災と同じ「阪神」を名に持つ球団として、タイガース、タイガースの関係者が震災の風化防止に寄与していって欲しいと思う。
 地震の恐怖、地震への備え、災害後の対策、復興への軌跡、災害直後に生まれた助け合い、失われた命…忘れてしまってはいけないものがたくさんあるのだからね。

コメント

  1. もう14年ですか。あの地震で我が家は半壊しました。。。
    今でも地震でミシッと揺れるとあの日の朝を一瞬思い出します。
    風化させないで、未来への教訓にしていく事大切ですね。

  2. ジジィ より:

    14年前のあの日、何も知らずに、苗場でスキーを楽しんでいたのは、私の人生の「汚点」です。
    当時、オリックスが被災者を励ます運動をしていたのに、我がタイガースが目立った働き掛けをしていなかったことが寂しく思いました。
    今回の真弓監督の件で、少し「つっかえ」が取れた気がします。

  3. 徳虎 より:

    未明に若干のゆれは感じたもののそのまま二度寝、朝起きて飛び込んでくる「TV映像」に絶句したのを憶えています。
    「がんばろうKOBE」で優勝したオリックスに対し 球場の修復、親会社の路線・車両の…とか言いながら何もなかったタイガースに 当時は歯がゆい思い(当時はホント弱かった)もしましたが、今は そしてこれからは関西だけでなく全国の人を勇気付けている球団であって欲しいと思います。

  4. 一虎ファン より:

    あのときの揺れの強さと長さには、文字通り、生きた心地がしませんでした。
    今でもユサッと来ると、心臓がバクバクします。
    にもかかわらず、直後にそろえた防災グッズもいまや、ほったらかし。
    「喉もと過ぎれば…」とは、よく言ったものです。
    一人一人の備えが被害を少しでも小さくできるのですね。

  5. あーちゃん より:

    「阪神大震災とともに歩いたチーム」といえば、ラグビートップリーグの神戸製鋼スティーラーズでしょう。
    何しろ全日本7連覇を決めた翌々日が大震災。本社も練習場も甚大な被害を受け、選手たちも多くが被災。練習どころか出社もままならない日々の中で、自警団の役割を買って出て、倒壊家屋からの救助や荷物の運び出しをボランティアで行ったそうです。
    その後練習再開まで9ヶ月を要したチームは、8連覇はもとより、常勝チームの座をも失いますが、2003年、トップリーグ初年度に優勝。そのときの記念Tシャツの文字がたしか「神戸は復活した」。泣けましたねアレは。
    その後もチームは「震災10年 神戸からの発信」ワッペンをつけたり、夕張でラグビー教室を開いて市民を元気づけるなど、積極的な活動をしています。詳しくはこちらに。
    http://www.toyokeizai.net/life/living/detail/AC/8960ac333fb7749fdc133ab67f729662/page/2/
    この志の爪のアカを、プロ野球のオーナーどもにぜひとも飲んでもらいたいものです。

  6. 西田辺 より:

    関西にいたり、縁のある人にとっては忘れ得ぬ日。
    仕事で神戸に行く電車から街並みを見ると、ポツンと
    存在する空き地に未だ消えない爪跡を感じたりします。
    当時、余り復興の力添えは出来たとは言い難いけど
    14年経った今、消えない傷の癒やしになって欲しいです。

  7. いっちゃん より:

    正月に神戸の親戚の家へ遊びに行っていて、ニュースを見たときはゾッとしました。とりあえず直ぐに連絡だけとれてホッとしました。神戸に住んでいる後輩はすごい揺れに死んだと思ったそうです。テレビに映る神戸の街は本当にひどかつた。あの時の兵庫県知事の発言は今でも腹が立ちます。

  8. おっさん より:

    絶対に風化させたらいかんよね。
    甲子園のアルプスにもひびが入ったり…。
    あれから数ヶ月後に行った神戸…
    青いシートばかりだったJRから見た車窓は今も忘れることはありません。
    あの時、オリックスは黄金期を迎えようとしていたけど、
    1995年のタイガースが復興のシンボルになれなかったのが、
    今となっては少しだけ残念な気がします。

  9. 奥虎鳳 より:

     神戸市東灘区将軍通りに住む学生時代の同級生。神戸に生まれ育ちながら巨人ファン(TOT)。昭和60年の猛獣シリーズ、3泊4日世話になる。川藤と故郷を同じくするお母さん唯独りトラキチ、お父さんと弟も巨人ファンの4人家族。積年の鬱憤を晴らし、我が世の春を謳歌していたお母さんとのトラ話は本当に楽しかった。『このバカ息子が、友達を見習え!』。最後に会ったのが1992年。震災の後、連絡が不通に…(TOT)消息、未だわからず。
     あーちゃんさん、素晴らしいコメント大変参考になりました、ありがとうございます。80年代の同志社の全国大学ラグビー三連覇、全日本ラグビー七連覇中の神鋼、優勝決定後の国立霞ヶ丘競技場のどこかに必ず『六甲颪』で勝鬨をあげる一団が。阪神タイガースと地域の結びつきを感じずにはいられませんでした。釜石の八連覇を阻んだ神鋼、秩父宮では野次り倒してます。

  10. torao より:

    それぞれの1/17、ありがとうございました。
    あーちゃん、良い話THNX。

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