TVの話

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 相変わらず、野球の場合、ちょっとTV中継の視聴率が「悲観的な予測」よりも高めだったりすると、「視聴率○%!」と大騒ぎする。


プロ野球とはマスメディアの「道具」として生まれ育った歴史があり、今もなおその商業形態を維持していきたいという意図がそうさせるのであろう。
 ただし、比較的高い視聴率を取ったといっても、その視聴者の年齢構成はどんどん「高齢化」しているのだという。G戦中継数削減の背景には、視聴率低下ともども視聴者層の高齢化により、スポンサーが付きにくくなったことがあると言われていた。
 まあでも、少子高齢化の進行はそれなりの速度があるし、またTVというメディア自体の高齢化もバカにはできない。情報源や娯楽が多様になったり、教育熱心な家庭が増えたことで、若い世代のTV離れは加速している。これからのTVは、年齢層的にも、趣向的にも、「TV愛好家」のために特化していかなければ生きていけなくなるのだろう。
 こうなると近い将来にTVをめぐる価値観の断絶が発生するんだろうなぁ。ここ数十年はまさにTVが天下を取っていた時代で、「TVでやっていた」ということのステータスがものすごかったわけだけれど、次世代の人たちにとっては、そんなことはまったく価値がないように見なすだろう。
 でもどう?実際もう今のTVって価値のないことが多すぎない?たいがいの出演者は、何か(公開中の映画とか、近く公演が始まる舞台とか、新しく出した出版物とか…)を売るためにけんめいにサービスしている。局は局で、自分たちが手掛けている映画やイベント、近く放送する番組を事前宣伝するのに必死。
 だから自然TVは「その程度のもの」と思われて、多くの人にとっては、笑いやちょっとしたリラックスを得るための道具でしかない。昔のように「TVさえあれば」という生活習慣、価値観を持つ人(私もそんな時期があった)はどんどん減るから、「TVでやっていること」の重要度は加速度的に低下すると思う。
 でもそれは「TV局側(スポンサー側、出演者側)の思惑が込められた情報=無価値」とされているだけのことに気づく必要がある。制作者側にこれという魂胆は感じられないのなら、見る方も比較的「安心して」楽しめるのだ。それだけ今の視聴者は、情報に踊らされることへの警戒心が発達したのだと思う。
 野球についてだってそう。「野球人気を盛り上げてやろう」という魂胆が見えるようなものはダメ。本当に面白い所を、面白い時に、面白さを損ねないように伝えることだけ考えてりゃ良いの。
 人知れずひっそりと始まったアジアシリーズについてはまたあらためて。

コメント

  1. いわほー より:

    私等テレビがなくっちゃ夜も日も明けぬど真ん中の「テレビ世代」。学校や書物よりもブラウン管(死語)から垂れ流された知識(恥識)で育てられたようなもんです。死後、もし私が鑑識の手で解剖されたら脳みそには薄っすらと走査線が焼きついているのを発見するでしょう。ああ恐ろしいやテレビ。その影響力が低下しているとするばそれはそれで健全なんだと思います。(近頃私の脳の走査線もすこしずつ薄らいできつつあります。ただ、その代わりマウスポインターの残像が薄っすらと……)

  2. 一虎ファン より:

    今後の野球中継に期待することは臨場感です。先日の日本シリーズ中継は、なかなかのものでした。

  3. 西田辺 より:

    かつて娯楽の中心にあったテレビも、多額の制作費と、妙なテレビ文化とやらで
    商業的な結果ばかりが求められるようになった。
    それと相反するように、「テレビより面白いモノ」の選択肢が増え続け、勢い
    テレビへの依存度が低下し続ける。
    情報においてはネットの後塵を拝し、テレビジョンセットはひたすら
    ゲームやエクササイズDVDの画面を映し出す機械に成り下がりつつある。
    余りにも、お金やら色んな意思が見え隠れしすぎた結果が現在のテレビ全体の
    低調を生んでしまったのでしょうね。
    これから、生活とテレビの関係ってどうなっていくんでしょうね?