迷いを破って連勝

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Tigers-net.com(タイガースネット.コム)で虎コラム「自称阪神タイガース評論家」を更新しました!
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 いろいろあった面白い試合でした。長いばかりで散漫な文章になってしまったなぁ…と反省。

コメント

  1. ジジィ より:

    (苦手札幌で)連勝は素直に嬉しいです。
    しかし、真弓監督は完全に『球児依存症』のようですね。
    久保をエースに育てたいなら、個人的には『続投』させて欲しかった!
    このまま『酷使』が続けば、夏場の球児が心配です…

  2. ごんたくれ より:

    >ジジィさん
    球児だけじゃなく西村・渡辺に対しても酷すぎます。この二人はビハインドでも登板させられるのですから。杉山あたりを有効利用して欲しいものです。

  3. ジジィ より:

    >ごんたくれさん
    おっしゃる通りです。
    昨年、黙々と『それ』をこなしてたアッチソンは、やはり鉄人だった…

  4. スーパーエリーバ より:

     昨日の球児、ビックリする位、球速が遅かったですね。
    やはり、酷使の影響でしょうね。
     10年程前、福原が、抑えや、中継ぎをやっていた頃や、抑えの田村が居た頃は、毎回2イニング位は、ザラに投げていたと記憶しています。
    横浜の大魔神や、盛田や、巨人の橋本も、そんな感じだったと思います。
    それが近年、セットアッパーや、抑え投手は、1イニングが、当たり前に成って。
    球児が2イニング目に、ガス欠を起こす姿を見ていると、やっぱり2イニングは相当負担が掛かるんでしょうね。
    かつての絶対的抑え、田村も、延長戦で3イニング投げさせられた直後に、肘を故障した(それ以降、故障前の田村に戻る事は有りませんでした)のをよく覚えています。
     投手出身の解説者がよく言っている様に、たとえ2アウトからでも、イニングを跨ぐのと、回の頭からとでは、全然違うんだと思います。
    最近、イニング跨ぎを連発する監督。
    そろそろ控えないと、手痛いしっぺ返しをくらいそうです。
     昨日の試合、一つ引っ掛かる事が、有りました。
    8回、藤川俊に代打を出す時、いつもは異様な程、相手投手の左右に固執するのに、左投手に対して、代打鳥谷選択。
    私には、鳥谷に、全試合出場させる為の代打に見えました。
    結果は見事なホームラン。
    しかし、私はこれは結果オーライだと思います。
    1点リードの終盤、あの場面、重視すべきは、鳥谷の打撃力ではなく、藤川俊の守備力だったと思います。
    先行き不安に成る昨日の勝利でした。

  5. 西田辺 より:

    球児、札幌が苦手なのかなぁ。
    あの球場はスピードガンが甲子園より数字が出ないので
    ムキになって力んだ…とかではないよね、さすがに。
    あの紺田刺殺の時、次の回小谷野から始まるのがイヤな感じでしたが。
    まぁどんなスーパーストッパーでも、年に一度や二度
    こんな日はあります。
    久保も8回までは、素晴らしい投球だっただけに勿体無い。
    見極め、交代時期の難しい投手ですね。
    ある時点で人が変わったようにアラアラと失点してしまう。
    良いピッチングはしてるものの、この辺は反省材料かな。
    明るい話題は金本の復調。
    肩の故障と共に打撃の調子も急落してたけど、札幌で
    美味いモノ食って元気が出たかな(笑)
    明日から仙台。
    牛タン食って(ベタやな)ホームランだ!

  6. より:

    交流戦はある程度日程が開くので8回から登板することはにはある程度納得はできるのですが裏を返せば8回を任せられる投手がいないのが現状だと思います。
    「8回はお前に任せる!!」投手が出てほしいのと久保以外の先発は長いイニングを投げ切れる「我慢強さ」欲しいです。

  7. ライムD より:

    遅ればせながら、既に10日もたってしまいましたが「自タオフ会」に参加させて頂き、楽しい時間と素晴らしい出会いを企画して頂いたtoraoさんに心からお礼申し上げます。
    参加者の皆さまの一部の方としか、お話出来ませんでしたが、皆様の阪神タイガースへの思いをお聞きするだけで、とても幸せな気分になりました。Jamesさん、おかぽんさん、hi64さん、源氏さん、K13さん、ふゆはるさん、o-ryuさんご夫妻、ほんとうに遅くまでお付き合い下さりありがとうございました。今度は是非神宮球場で一緒に「六甲おろし」を歌いましょう。
    スーパーエリーバさん、私の応援用のユニホームは、背番号36番で、その上に「NO MORE TAMURA」と刻んでいます。1992年は田村勤が故障していなければ・・・と良くいわれましたが、私は翌年の1993年の印象が強いのです。好調時にはほど遠かったのですが、それでも連続10セーブ(球児に破られましたが)を記録したり、30試合で22セーブの記録を残したりで、かろうじて阪神が5割近い成績を残せたのは田村がいたからだと今も思っています。防御率も2.20という数字でした。でも92年は防御率が1.10なんて凄すぎますね。左のサイドスローからの浮き上がる145k前後のストレート。絶対忘れません。そして引退試合を開いて頂いたオリックス球団に涙しました。
    どうか真弓さん、中村監督の愚行を教訓として
    明日からは球児さんを大切に、大切に扱って下さい。